一隅を照らす

 

 
 一隅を照らす運動は比叡山天台宗の運動である。その場、その状況において役立つ人間、欠くことのできない人間として、自分の居るところを照らせという意味である。少し引用が長くなるが、山田恵諦天台座主の次の言葉は味わい深い。

「人間は千差万別である。頭のよい者、才能のある者、力の強い者、勘の鋭い者、器用な者、雄弁な者・・・と、そうでない者とがいます。どういう特性、個性を持っているから偉いというわけでもない。要するに、人それぞれ持って生まれたものが違っている。

 もちろん、努力や訓練で自分の長所を伸ばし、短所を改善していくことはできますけれども、生まれながらに持っているものの領域にまで踏み込んでどうこうすることはできません。人間はみな違うんですから、誰も彼もが一緒である必要はないし、そうもできはしない。

 たとえば同じように足速い人と言うてみても、百メートルが速い人とマラソンが速い人とではまるで違うでしょう。百メートルではカール・ルイスにまったく歯が立たなくても、1万メートル、2万メートルと距離が長くなれば彼より速く走ることができるという人はいくらもいるはずです。

 どれほど才能に恵まれていようと、何もかも一人でできやしません。一方またどれほど取り柄がないと思われる人でも、何一つできないという人はおらない。その人にしかできないというものを、必ず人間は持って生まれてきている。ですからそれを磨けばいい。

 自分にできることを通じて、その居場所を明るくするような存在になればよい。無理をせよ、できないことに挑戦せよと言うているのではないのです。生まれながらに持っている能力を生かしつつ、人間として完成するという大きな目標に向かって歩んでいくことが大切だというのです。」



ところが 「すべての面において一人前でなければならんというふうな考え方を持っておられる人が多いようなのです。親が子に対する期待においても、あるいはまた自分自身のあり方に対する思いにおいてもです。

 つまり、あれもこれも人並み以上でないと満足できない。ということで、平均点は高くなるかもしれないけれども、個性や特性のない人間ができあがっていく。そういう傾向はないでしょうか。

 私はそういう方向は間違っていると思います。一つのことを熱心にやりさえすれば、必ずすべてに通じる。そういうものなんです。一つのことに深く通じるようになると、それまで見えなかった他のことが見えてくる。それまでわからんかったことが、自然に分かるようになってくるから不思議です。

 そもそも人間というものは、よほど才能に恵まれた人は別にして、そうあれもこれもできるというふうにはできておらない。みなそれぞれに長所もあれば欠点もある。その長所を伸ばしていくことが大切なんです。長所を伸ばすためにはどうしたらいいかといえば、その人に適したことを徹底的に続けて実行していくしかない。一つのことをするに限る。」 (出典『一隅を照らす』山田恵諦著 大和出版)

 

 センター試験を見ても分かるが、今の世の中は平均点の高さばかりを競う傾向にある。平均点が同じ70点でも、70点・70点・70点の人もおれば、100点、70点、40点、の人もいる。もっといえば、100点満点の人の中には、本来なら150点くらいの能力が含まれている可能性だってある。しかし、センター試験はそうしたことをまったく反映しない。

 人を教育するとはどういう事なのか。あらためて考えさせられる。

 

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